※ 「無知の模索」から微妙に続いてます






 若さに文句を垂れるな




 灰色の空、白い雲。暗色の床には青いビニールシート。
 あまりにも場違いで目を疑った。いつもなら用途の分からない鉄くずか何かの部品、それくらいしか転がっていない場所のはず。なの にここにはビニールシート。
「遊星、これは何だ」
 そんなのも分からないのか、という顔をされた。あいつの目は感情過多で、言葉で語るよりよほど多弁なのだ。
「このような大仰なシートを敷いて、お前は解体業でも始めるつもりか」
 実際の解体屋はこんなもの使わないだろうが、俺にはそれくらいしかシートの使い道が思い付かない。これくらいの大判サイズだった ら小団体のピクニックにでも使えそうだ。そんな大きさのものを使う意図など、全く掴めない。
 ドライバーでネジをいじっていた遊星は顔を上げなかった。答える必要もないのか。少し寂しい気もするが、別に押しまくってまで尋 ねたい事でもない。ため息をひとつついて、俺は出口に足を向けた。
「座れ」
 変声期を終えた低い声が命令する。ここには俺と遊星しか居なくて、さっきのは俺の声じゃない。なら喋ったのは遊星で、その命令 は俺に向かったものだろう。だがここの床はあまり綺麗とは言えない。時に半裸で転がったりしているが、平時なら立っている場である。 だから俺はシートの上に座った。直接座るよりこっちの方が心情的には楽だ。だってざりざりしない。
 遊星はしばらくナットやらペンチやらで何かを弄くり回していた。こいつは暇さえあれば何かをいじっている。鳶色の手袋はあれで何 代目なのだろう、いつの間にか新品の色艶を取り戻したような気がする。それにしても俺はなぜ待たされているのだ。
 がちゃがちゃと用具をしまって機械には布を掛け、遊星はようやくこちらに来た。手にはプラスチックの容器が握られている。
 嫌な予感がした。
「遊星」
 声がうわずった。
「ジャック」
 遊星は相変わらずの平たい目で、容器の蓋をかちっと開けた。
「お前の尻に突っ込ませろ、準備はしてある」
 そう言って掲げるのは例の容器。
 ……冷や汗どころの騒ぎじゃなくなった。


「待て遊星。少し落ち着いて考えろ。まず整理させてくれ、じ、準備とは何だ」
「これだ」
「俺にはそれが……ヘアワックスにしか見えない、のだ、が」
「そうだ」
 頭を抱えたくなった。
「それでお前は、な、何を、するつもりなのだ」
「お前に突っ込む」
 何処に、とは言わない。というより既に言ったな。
 落ち着け、クールになれジャック・アトラス。俺に出来ない事は何も無い。まずは情報を整理しよう。まず遊星は俺の……にアレを 突っ込みたいようだ。その為ジェル代わりにヘアワックスを用意したということか。よし分かった、理解できたぞ。色々齟齬があるがな。
「ゆ、遊星。あのな、発想は悪くない。ジェルの代用でワックスというのは頷ける。だ、だがな、お前のワックスはすごく固いだろう。 付けた髪はガチガチだろう。それではジェル代わりにならない」
 途中まごつきながらも俺は言い切った。遊星のワックスが固いのは事実で、それが分かっているからか遊星もむっとした顔をした。
「ならばこれで」
「待て待て頼むからちょっと待て。グリスは身体に塗るものではないだろう」
「あれ」
「エンジンオイルを粗末にするな」
「…………文句を垂れるな」
「だから落ち着けと言っているだろう」
 上で俺たちは睨み合った。そういえばこいつと衝突したのは久しぶりだ。こういう関係での話だと初めてかもしれない。
 遊星の目は真剣だった。いつもの無表情じゃない。好奇心に溢れた、とも言いにくい。渾身のアイディアを却下されてむくれていると いうのが一番しっくりくる。
 手を動かしたらがさりと音がした。そういえばここはシートの上だ。青くて大きいビニールシート。来たときから敷いてあった。
 そのとき俺は閃いた。びりっときた。遊星は最初からやる気で、ワックスも用意していて、そして俺を居座らせた。このシートが敷か れていたのは、俺の身長より大きいのは、まさか、もしかして、そういう事だと考えていいのだろうか。
 思考のベクトルが変化したとたんに思った。遊星はかわいい。無口でメカ好きで油臭くて、指先は器用で気だては不器用。なんだすご くかわいい奴じゃないか。気付かなかった俺は馬鹿か。
 未だに俺たちは睨み合っていた。正確には遊星は睨んでいて俺は見つめていた。そしたら何か、こう、言いようの無い衝動がズドンと 俺を包み込んで。

 ふにっ。

「…………」
「……………………」
 キスをした。
 俺は遊星にキスをした。
 思ったより簡単に、あっさりとそれは終わった。手で触れるのはあれほど躊躇してしかも果たせなかったというのに。何故だろう。手 は末端で重要な部位で手袋をして保護されているからだろうか。唇は皮膚の表面と解釈できるだからだろうか。でも手で触れるよりも温 かい。何だかアレをしているときみたいに心臓が走り回る。遊星は知っているのだろうか。この叫びたくなるような感覚の正体を、知っ ているのだろうか。
 遊星はパソコンを作った。そこからあらゆる情報を取り込んだのだろう。だから知っているかもしれない。
 俺は喋れなかった。言葉が出てこない。頭が真っ白だった。
 遊星も喋らない。目は見開かれていて、びっくりしているのがよく分かる。ああくそ、今の俺は遊星をかわいい生き物としか捉えられ ない。狂った。どこかで俺は狂ってしまった。
「ジャック」
 ああもう喋るな遊星。頼むから固いワックスを指先で捏ねないでくれ。
 お前が何をしたいのか分かっている。それは俺が引き起こしたことで、多分今までのアレじゃ収まらなくなっている。つまり、さっき 遊星が提案して俺が却下したアレをやるのだろう。
 俺は文字通り、墓穴を掘った。








馬鹿遊星をやろうとしたらジャックがおかしくなった。
ああもう喋るな遊星〜のくだり、妙に身内受けが良かったです。なんでだ。





08/06/14