五感に水が張ったようだった。
 遠くに聞こえる音と写真越しのような風景。なくなって実感した、あいつの存在の大きさ。
 俺はあいつの願い通りに花を供えた。グラウンドの隅に咲いていた橙色の花を。図鑑で調べたら、それは姫百合という花だった。花言葉は「誇り」「変わらぬ愛しさ」そして「強いから美しい」。あいつにはお似合いの花だと思う。
 あまりにも似合いすぎていて、ほんの少しだけ視界が滲むくらいに。





 湿った熱気が地面から噴出している。今は店内にいるから暑さを感じないが、バイトが終わったら途端に汗が吹き出るだろう。
 何処からか腹に響く音がする。太鼓だ。地区主催の小さな盆踊りは今日が開催日だったらしい。
 客は皆そっちに行っているのか店内は閑散としている。こういうときに思い出すのはあいつの名を探し当てたときのことだ。偉そうに宙を漂っていた、幽霊らしい幽霊だった頃の。

「探す、か」

 あいつは今、何処に居るのだろう。冥土に辿り着いただろうか。まさか地獄行きにはなっていないだろう。要らぬ心配だと知っていても考えずにはいられなかった。だってあいつは笑っていた。なのに堕ちたとしたら……冗談じゃない。



 自動ドアが開いた。床に落としていた視線を上げる。入ってきたのは、季節にそぐわない黒灰のニット帽を被った男だった。いらっしゃいませ、マニュアル通りの棒読みで対応する。生きる糧であるはずの仕事に身が入らないのはいけない。思い出で腹は膨れないんだ。
 俺はあいつを忘れるべきなのだろうか。
「おい」
 さっきの男が寄って来る。
「この棚のものはないのか」
「……少々お待ちを」
 機械的でいい。仕事をこなさなければ。あいつは言っていた、俺達は別次元の存在なんだと。別れるのが必然だったのなら、忘れてもいいだろう?
 そうしなければ、俺は先に進めなくなる。



 男が指差した酒棚はひどくがらんとしていた。昼夕の客がごっそり買っていったのだろう。何が無いのかもよく分からない有様だ。

「商品名は分かりますか」
 我ながら無愛想だと分かる声に、男が答える。
「ああ……確か、最初にJが付いていた」
 聞いた事のある台詞だ。まるであいつのような。
 伏せていた顔を上げた。
 男は大事故にでも遭ったのだろうか、真新しい眼帯を付け、左腕は三角巾で吊っていた。頭は黒灰の味気ないニット帽ですっぽり隠れていたが、僅かにはみ出す髪色は月光の色をしている。

「……ジャスコ?」
 間抜けな事に、俺はうろたえていた。死者が生き返るなんてあり得ない。けれど目の前にはあいつと瓜二つの人間が立っている。そのせいで、つい訳の分からないことを呟いてしまった。
 それなのに。
「百貨店のオーナーと同名の酒があるのか」
 鎌をかけたつもりはなかった。万が一にも同一人物であるはずがないのだから。これは偶然だ。他人の空似に決まっている。
「失礼しました。ジャックダニエルですね」
「ああ」
 在庫はあっただろうか。黒いラベルのウイスキー。あいつの名で、あいつに似た客の探しもの。バックルームに入って一通り見たが、あの酒は品切れのようだった。俺は手ぶらで男の元に戻る。
「……お前、前に会った事があるか」
 自由の利く右手の指をこめかみに当てながら、酒のことなど忘れたように男は俺に尋ねた。記憶がフラッシュバックする。名の無い頃のあいつと同じ仕草。二度あることは三度あるのだろうか。それともこれは三度目の正直なのか。
 一瞬で色々な思考が錯綜し、結局、俺は。


「……輪廻転生と言いますが、盆に霊は帰ってくるんでしょうか」
 男は片方しか見えない目を疑問に染め、こう返した。


「それは魂のリサイクル論だろう。盂蘭盆と混ぜては話として矛盾する」
 片眉を上げた男は、やはりどこかで会っただろう不動とやら、と俺のネームを見て詰問してきた。
 何事にも四度目はない。あったとしたら、それは必然。
 俺は諦め、笑って、どう説明したらこの男は納得するのだろかと悩むことにした。












08/07/07〜07/11