僕が今日この国を訪れたのは、とても面映い理由からだったりする。
けどやっぱり嬉しい。祝ってくれるってだけでも、ね?
その手錠は甘い琥珀
カリブ海に浮かぶこの国は、どこか甘い香りがする。空港もそうだし、街中ともなれば濃くなる一方だ。
甘いと言っても、これは全く比喩じゃない。鼻から味覚を刺激するストレートな甘さだ。
僕はこの香りが好き。僕の国にはないものだから。
赤土を焼く太陽熱も、濃厚な砂糖水をばら撒いたような空気も。
……それに、ここにはあの人が居るから。
「それにしても遅いなあ」
空港の椅子でぼーっと周囲を眺めていたら、結構な時間が経過していた。けれど約束の相手は中々現れない。立ち上がって探せばいいのだろうが、空港から出るのは禁止されていた。旅行者狙いのタカリ屋がうろうろしているから、って。
僕はいつ来るとも知れぬキューバさんを待つことにした。約束の時間から過ぎているとは言っても、たかだか三十分のことだ。こんなのカナダでもよくある。そう自分を納得させてキャリーバッグに寄り掛かった。この中にはキューバさん用のお土産が入っているから、間違っても盗まれてはいけない。
暇だから、近くに居た清掃員のモップに目を遣る。のんびりとした等間隔の動きに、少しずつ眠くなってきた。
「……時差ボケか?」
船を漕ぎかけた意識が、耳に飛び込んできた声ひとつで一気に浮き上がる。キャリーバッグに乗っかっていた頭を上げて、声のした方へと視線を向けた。
オレンジ色のシャツに半ズボン、それにサンダル履き。いつもの格好をしたキューバさんが僕の前にしゃがみ込んでいた。
甘い匂いが一段と濃くなった、気がする。
「い、いえ。ちょっとウトウトしただけですから」
「……それが眠いってんじゃねえのか? 俺ん家でベッド貸してやるから、そこまで我慢しろ」
キューバさんが僕の手を取って、空港出口にずんずんと歩を進めていく。置いていかれては堪らないと、縺れそうになる足を懸命に動かしてキューバさんを追いかけた。
この国の空は、絵本の挿絵のような青空だ。
僕はそれがとても好きだ。けれど同時に叩きつけてくる太陽光線は、ブルーアイズにダメージを与える。だからいつもサングラスを掛けていなきゃならない。この国で目を晒し続けると、夕方頃には必ず頭痛が襲ってくるから。
今日も空は抜けるような蒼天。サングラスをずらして覗く大空は、僕のちっぽけな両眼をちくちくと刺激してくる。それでも目を細めて、視線を逸らさずに異国の空を脳に刻む。
「それくらいにしとけ」
急に僕の視界が青一色ではなくなった。キューバさんがサングラスを元の位置に戻してくれたのだろう。いつもの彼らしくない、紳士に似た行動に違和感を覚えた。 優しいけれど根っからの正直者で、歯に衣着せぬ物言いでアメリカを罵倒するような彼が。
「まだ眠気が抜けねえのか? なら運んでやるぞ。背中ぁ乗れ」
あれ、キューバさんってこんなに世話焼きだったっけ。普段はもっと厳しいところがある人だったはずなんだけど。
……何かあったのかな。
「大丈夫ですよ〜それよりキューバさんの家もうすぐですよね?」
へらっとした笑顔を作ると、キューバさんがおうよ、と返してきた。
歩いているうちに眠気はすっかり覚めていたけど、ちょっと身体がふらついていた。飛行機に長時間乗るのには仕事柄慣れていたけど、疲れるものは疲れる。出来るならベッドでぐっすり休みたかった。
がらがら、キャリーバッグが耳につく音を立てる。舗装されたりされていなかったりと、ローラーにとっては悪路極まりないところを走らされているのに辛抱強いものだ。このローラーを作ったのは何処の国だろう。すごいなあ。
すごいと言えば、キューバさんの背中もすごい。何がすごいとかは無いんだけど、なにせ大きい。僕の方が国として広大なはずなのに、キューバさんの背中は僕よりずっと広くて頑強だ。独立戦争で重責を担ったからだろうか。でもそんな事を全く感じさせないキューバさんはすごい。尊敬する。すごくかっこいい。
僕がこんな人と仲良くなるなんて。
それがとても誇らしく、また、何で僕と仲良くしてくれるのか不思議だ、とも思う。
キューバさんの家に着いたら、すぐにベッドに押し込められた。
眠いときは寝ちまえ、とキューバさんが布団の端を押さえて放さなかったのだ。半ば強制的に昼寝を摂ってしまったが、身体中の疲労感はすっかり抜け落ちている。真っ白なシーツはくしゃくしゃになっていた。ああ、キューバさんのベッドなのに。
……あれ、キューバさんのベッド?
それを自覚した瞬間、かーっと顔に血が昇っていった。キューバさんがいつも使ってるベッド、昨日もここで眠ったであろうベッド。思考が妙な方向に傾いても、僕の赤面は収まらなかった。
枕やシーツを誰かと共有するのって、変な感じがしないかな。僕はする。今感じてる。
キューバさんは、こんな小さい事は気にしないのかもしれないけど。
「……手、繋いだよね」
空港から家まで、僕らは互いの手を放さなかった。キューバさんが牽引していたのもあるけど、僕だってちゃんと握り返していた。真っ昼間から男同士が手を繋いでいる光景は、周囲から浮いていただろう。きっと。
他人の目を気にして手を放さなかったのは、キューバさんがそうしてくれたからだ。恋愛に対して驚くほど実直な人だから。
手を繋いで何が悪い、文句あるなら言ってみろ。
外でキスすんのは悪い事なのかよ。
そういう事をさらっと言ってしまうような人。僕が恥ずかしいと尻込みすることが、キューバさんにとっては当たり前の愛情表現だったりするんだ。やれるときにやって、出来ないなら言葉を贈って。嬉しいのか恥ずかしいのか僕でも判別不可能だ。思考が鈍ってしまう。
キューバさんはかっこいい。何に対しても躊躇しないから。
「カナダ、メシ出来たぞ。食うか?」
唐突に開かれた扉。顔を出したのは無論、キューバさんだ。
「は、はいぃ! 今行きます」
タイムリーすぎるキューバさんの登場に、僕は非常に焦った。疚しいことは何もしてないけど、脳内がね。好きな人の事を考えてるときに本人が来たらビックリするだろう。僕は焦ると呂律が怪しくなるし。
乱れた髪を手櫛で整えサングラスからいつもの眼鏡に交換してから、僕は食卓の椅子に座った。既に配膳されているものの味は何となく想像がつく。キューバさんの料理はいつだって甘いか塩辛い。この味付けはお国柄だから変化がないのは当然だ。でもキューバさんが作るのだから何だって美味しい。イギリスさんの料理と比べるべくもなく美味しい。
惚れた欲目だと笑われてもいいさ! ってキューバさんなら言うだろうな。
僕もきちんと口に出して愛情表現をしなきゃ。
「きゅ、キューバさん!」
「コーヒーに砂糖入れるか?」
「え? い、いえ自分で入れますから」
「そっか」
コーヒーをなみなみと湛えたカップを僕の前に置いて、キューバさんは砂糖を山盛り三杯投入した。この国のコーヒーは何も入れなくても何故か甘いのに、それに三杯。きっと水飴みたいに甘いんだろうなあ。
「そうだ、キューバさんにお土産あるんですよ」
甘い、で思い出した。すっかり忘れてたけどお土産があったんだ。
部屋の片隅にあったキャリーバッグを開けて、瓶詰めにしたメイプルシロップを持っていく。キューバさんはメイプルシロップが好きだ。それを聞いたときから、僕はキューバさん家に行くときは必ず瓶詰めのものをお土産として持参する。
「お、メイプルあんのかよ! くっそ、砂糖入れちまったぞ」
「食後のコーヒーに入れればいいじゃないですか」
「……そうだ、メイプルを米に掛けてみるか」
「じ、じゃあ僕のを飲んで下さい! これからメイプル混ぜるつもりでしたから!」
パンとメイプルは合うけど、米との相性は未知の領域だ。もし不味かったりしたらメイプルが可哀想すぎる。
瓶からスプーンで掬った琥珀色はまっすぐコーヒーに混ざっていく。砂糖のストレートな甘さも好きだけど、やっぱりメイプルの甘さが一番好き。これもお国柄なのかな。よく分からない。
丁度良い甘さに調節して口をつけたコーヒーからは、サトウキビとメイプルがごっちゃになった味がする。美味しいというより面白い風味。僕はこの独特の香りが結構気に入っている。
「はい、キューバさん」
「……いいのか? お前のだぞ?」
「メイプルが好きなキューバさんにプレゼントです」
飲みかけですけど。そう付け加えても、返ってくるのは喜色満面の了承だ。
豪快にコーヒーを飲むキューバさんはとても幸せそうだった。甘いもの大好きだって言ってたしね。でも米にメイプルは僕も考えた事がなかったなあ。今度試してみるべきかな。メイプルリーフを掲げる国としては。
「……何か、俺とお前が混ざったみてえな味だよな」
「へ?」
あれ、変な言葉が聞こえたような。何と何が混ざったって?
「サトウキビの味とメイプルの香り、ってまんま俺らじゃねえか。いつもと変わらない味なのに不思議な気分になる」
「不思議な気分、ですか」
「っつーか……まあ言っちまえばお前の味だな。コーヒー飲んでお前の味がしたら不思議だろ」
「え、ええええええ」
いやそりゃ不思議ですよ。ミステリーですよ。僕入りのコーヒーですか。聞きようによってはグロテスクですよ。
そう思いはしたけど、僕の顔は熱い。だって僕らが混ざってるとか、卑猥な表現としか思えないじゃないか。そりゃキスはしたけど、それ以上はまだなんだから!
うう、やっぱり恥ずかしい。キューバさんのストレートな表現に勝てない。僕どうすればいいのさ。
あ、そうだ。
「キューバさん、そのメイプルコーヒーを僕だと思って大事に飲んでくださいね!」
どうだこのストレートさ! 今まで生きてきた中で五指にランクインするくらい恥ずかしい台詞だったよ!
「それを早く言ってくれよ……飲み干しちまったじゃねえか」
「え、いつの間に」
「お前が赤くなってる間に」
う、うわー……これってアレだよね、自爆だよね。スベってるよね。うわ恥ずかしい!!
もうご飯の事とか考えてられなくて、僕は行儀悪くテーブルに突っ伏した。これ以上醜態は晒したくない。どうしようどうしよう、変なこと言う奴って思われちゃったかな。こんな事でキューバさんに嫌われたくないのに。
自己嫌悪で泣きそうになってたら、急に頭を撫でられた。でっかい掌。あったかい指先。キューバさんは大きくて甘い。彼に釣り合うようになりたいのに、中々上手くいかなくて。みっともなく失敗ばかりする僕に、キューバさんはいつも優しくしてくれる。
「僕、キューバさんが好きです」
悩んだ末に、結局ワンパターンなこの台詞に行きついてしまう僕。何の捻りも無い、子供のような告白。
「今日は俺が祝う側なのに、どうしてお前が俺を喜ばすんだよ」
それなのに、キューバさんは嬉しいと言ってくれる。好きという一方向の言葉に、いつも色々な返答をしてくれる。
キューバさんが喜んでくれるのなら幾らでも言う。好きって、意味が溶解するまで連呼したっていい。ボキャブラリーが貧困な僕でも、それくらいならやれる。キューバさんが喜んでくれるなら。
「とにかく、今日のお前は祝われてりゃいい。俺の事は考えんな」
「……でも」
「偶には俺にも言わせてくれよ。俺だってお前が好きなんだからよ」
「僕だって」
「つか、愛してるな。俺の場合」
「あっ、愛!?」
驚いて顔を上げると、キューバさんが照れたように笑った。
「さっきのコーヒーみたいにぐちゃぐちゃ混ざっちまいてえくらいに、俺はお前を愛しちまってるよ」
熱が、上がる。
これ以上何か言われたら、僕の羞恥許容量がパンクしてしまう。ああ恥ずかしい。上位語があるならそれを使いたいくらい恥ずかしい。
でも、やっぱり嬉しさを上回る訳ではなく。
「僕、そう言ってくれる方が良いです。誕生日を祝ってくれるより、好きって言ってくれるのが、一番」
「じゃあ、ずっと言ってやるよ。お前の好き一回につき、俺の愛してる二回な」
「そ、そしたら僕だって! あ、ああああいしてますよ大好きですよキューバさんのこと!」
「俺はカナダを愛しています。太陽のように愛してる海のように、飽きることなく愛し続けるぜ」
「うわっひゃー! やめて下さい恥ずかしい!」
駄目だ、この人には勝てない。勝とうと思う方が間違っていた。
ラティーノの辞書には「躊躇い」とか「羞恥」って言葉はないのかな。いや、キューバさんの場合は「お前を好きになったからその言葉は削除したぜ」くらい考えていそうだ。というか尋ねたら口にするに違いない。
「……俺の『手錠』は緩くてメイプルの味がする、ってか」
「何か言いましたか?」
「んや、気にすんな……それより、お前はコーヒー味とアイス味、どっちのキスがお好みだ?」
「…………それ、僕が答えられると思ってます?」
僕は誕生日に、好きな人から色々な愛を頂きました。
いつか僕も彼を幸福にしたいから、来る日に備えて今はあの言葉を何度も復唱します。
「好きです、愛しています、キューバさん!」
なんて、ね。
きちんと資料を読んだらキューバさんが大変積極的になっちまったの巻。
ものの本によると、ラティーノがプレイボーイ気質なのに対してラティーナ達は束縛性が非常に高いとのこと。だからなのかラティーノ達は連れ合いのことを「手錠」と呼ぶこともあるそうな。すげえ比喩だな。あとキューバコーヒーは元から甘いそうですが、キューバ人はそれに砂糖三杯以上は軽く投入するそうです。日本で売ってるキューバ産ビールの原材料にもさり気なく「サトウキビ」表記があるとか。ほんのり甘いらしいっすよ。
キューバは調べれば調べるほど楽しくなる。日本人から見たら異次元すぎだ……
覚え書きのような感じになっちゃったけど、カナダさん独立記念日おめでとう!
09/07/01