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僕は紅茶が好き。彼はコーヒーが好き。
僕は雪国住まい。彼は南国住まい。
ぼうっと一日過ごせる僕。何かしていないと退屈な彼。
僕らの性癖が噛み合う領域は、実のところ非常に局所的だ。
「攫っちまえばいいのに」
僕の家に遊びに来たキューバさんが、テレビの恋愛映画に文句を垂れていた。映画の内容は陳腐なもので、親友の恋人を好きになった主人公が究極の選択を迫られる、そんな内容だった。最後には親友が事故死し、棺の横で元恋人が主人公にしなだれかかる。たったそれだけ。二人が結ばれたように見せているが言及はされていない。横恋慕の結末は些か後味が悪かった。
それに対して、キューバさんは「攫えばいい」と呆れた。愛が燃え滾ったとき、相手の喉元に食い付けば良かったのだと。
僕は諦めれば良かったと思う。愛の炎には水を掛け、二人の幸福を祝福すれば良かったのだと。
キューバさんは何事も恋愛に重きを置いている。
友と恋を天秤に掛けられない僕には、他に心を寄せている人を攫うなんてエネルギーがない。
「連れ去って、どうするんですか?」
「どうもしねえよ。美味いもん食って、そいつと過ごして、たらふく寝る」
「その方の気持ちを考えない最大幸福、ですか。怠惰ですね」
「怠惰、いいねえ。俺ァ働き過ぎで死ぬなんてまっぴらだ」
なるほど、情熱と愛に生きるキューバさんにとって過労死は忌避すべき死に方なのだろう。きっと最高は腹上死。何て分かりやすい。
幸せの形なんて本で読むくらいしかない僕にとって、キューバさんのあけすけさは非常に羨ましい。幸せが何色で、どんな味で、熱いか冷たいか、欲の変化とは如何なものか。興味は尽きないけれど、不思議と実践しようという気は起きなかった。
僕は幸せが分からないから。
他人を伴うものなら、尚更に。
「キューバさんは、誰かを好きになったらすぐ誘拐しちゃうんですか?」
「しねえよ! ったく、人聞きの悪ぃ」
「でも、愛に生きるなら、手の内に収めるのが一番なんじゃ」
「見込みがなけりゃ攫ったりしねえよ。大体、言葉のひとつひとつに愛情が篭ってるのが良いんじゃねえか。何だよ俺を人攫いみたいに言いやがって……あ、お前も攫ってほしかったのか?」
戯れるような最後の一文。
その言葉に、瞬間的な憤怒を覚えた。
目の前が真っ赤になり、反射的に掌をぐっと握り込む。爪が食い込んで血が吹き出そうだった。唇を噛み切ってしまいそうだった。
だけど、僕は拳を振り上げなかった。罵声を浴びせることも、睨むことすらしなかった。
憤怒の後に訪れた深い悲哀が、胸をぐっと締め付ける。
キューバさんの女好きは筋金入りだ。僕だって知っている。けど、せめて、僕を女扱いしないで欲しかった。僕は彼を殴れるような強さはないけど、攫って欲しいと夢想するほど弱くもないから。
「そんなの、嫌、ですよ」
だから、どうか、これ以上叩きのめさないで欲しい。
恋しているのは僕だけで、キューバさんは僕を友達だと思ってくれている。だから攫わないで。一度与えられたものを取り上げられるなんて、何度も経験したくない。
ねえ理解できないでしょう、意識したことなんてないでしょう?
僕は貴方が好きなんです。この映画の主人公のように、ジレンマに囚われながらも諦め切れないのです。個としてのキューバさんがノーマルなのは知っています。僕とは違うけど、好きだと思ってくれていることも。
だから攫わないで下さい。
僕は貴方を失いたくない。
「攫うって、俺のものにするってことだよなあ」
今更のように彼が呟く。
色恋を目的とした誘拐には薄暗い欲望が付き物。物質的な意味合いでなら、攫った時点で“俺のもの”になる。
あえて返答しなかった僕に、キューバさんはまた変な事を言い出した。
「じゃあよう、俺はお前を攫うべきなのかもしれん。いや、どうして今まで攫わなかったのか不思議なくらいだ」
「…………キューバさん、訳が分かりません」
頭がふらふらする。きっと考え過ぎたせいだ。
僕らしくない理屈をこね過ぎたせいかもしれない。
「僕を女扱いしようっていうのなら、幾ら貴方でも許せませんから」
「違ぇよ。好きなんだよ」
言い訳のように返された単純な“好き”――一番平坦で意味が掴みにくく、それ故に誤解を生む言い方。
追撃するのは簡単だ、それじゃ意味が分からないと言い返せば良い。けれど僕はそうしなかった。そんな事をしてしまえば、幸せが見えなくなりそうだから。初めて掴みかけた幸せを、少量でもいいから胸に留めておきたかった。
「僕も、好きですよ」
気持ちを言葉にすると、不思議と舌が苦くなる。幸せだと思っていたものが胸を重くし、澱のように沈殿していく。
ああ、恋とは斯くも辛いものか。
笑いながら、泣きながら、僕は言葉を呑み込む。映画の主人公のように。笑い切れない表情のことなど気にしない。眠かったとか、くしゃみしそうだったとか、弁解するなら幾らでも列挙できるのだ。今を維持する為なら、僕は何だってする。
でも今は笑えない。
“好き”の齟齬が、予想以上に辛かったから。
「なんだよ、じゃあ両想いだったのかよ!」
彼の叫びに、意味を掴みかねた僕はゆるゆると顔を上げた。
絵に描いたような驚愕を顔に貼り付けたキューバさんは、いつになく余裕が無い。
「じゃあ何だ、今までの俺の苦労は全部徒労だったのかよ。おい、聞いてんのかカナダ!」
肩を揺さぶられて、僕は飛んでいた思考を地に戻した。何が起きたのか分からない。
あれ、キューバさんは僕をLikeと思っていたんじゃないのか。Loveは僕だけだろう?
だって、だってだって。
「予定変更だ、今日は酒盛りするぞ。カナダ、酒買出しに行くぞ。積もる話を全部聞かせろ、俺も洗いざらい吐いてやる」
「……方向転換、早いですね」
美女大好きを自称していた口が、にっと持ち上がる。
「自分に正直に生きれば、後悔することはねえからな」
事実に裏付けられた言葉だった。マイペースに生きる、彼ならではの発言だった。それを受けさせられた僕は、迷惑だとは思わなかったけど困惑はした。
愛を知る為の勤勉。愛を略奪し続ける故の怠惰。遠いようで、実は背中合わせだった二つの意味。
ああ、僕は正直になりたかったのだ。
キューバさんのように、笑って泣いて抱き締めて。迷いのない愛を、ずっと欲していた。
ずっと、ずっと昔から。
僕らはとても仲が良かったけれど、互いの本性は知らないままだ。
だが変化を受け入れた今、それを知る日は近いのだろう。
いつか彼を理解できる日が来るまで――僕らはずっと噛み合わず、泣いて怒って結局は妥協するのだろう。
それがきっと、僕にとっての最大幸福。
理屈っぽいカナダと本能に忠実キューバさん。カナダは薄幸がデフォ
キューバさんが予想外に下半身優先のタラシ男になったけどこれはこれでらしい気が…
「abortive」は「実を結ばない・徒花」って意味らしいです
09/07/17 投稿
09/09/01 再録
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