[]

No. 17





 暗闇で鈍色がぎらりと光る。
 首に押し当てられた刃が皮膚に食い込んで、今にも血管を切り裂いてしまいそうだ。
 馬乗りになった男は、片腕と膝でマシューの抵抗を制した。獲物である山刀はかなり使い込まれているらしく、ところどころ刃こぼれしている。何に使ったのかは知りたくない。
 怖い。
 自然と呼吸が荒くなって、汗が全身から噴き出す。
「何しに来た」
 男が初めて言葉を発した。態度とは裏腹に静かなバリトンだ。
「あ、船が、難破して……」
「船?」
「転覆して、海に投げ出されて、僕だけ浜に流れ着いて、それで」
 マシューの乗っていた漁船が沈没して、少なくとも三日は経過していた。祖国を離れてから何日過ぎたか分からない。
 憶えているのは混乱した船内、怒声を上げる船長と祈る船員、すぐ目の前に迫る大波、荒れ狂う海と吹き荒ぶ風――海に落下する瞬間の、奇妙な浮遊感。死の実感は無かったが、予感はしていた。九割九分九厘、海の藻屑となって骨も残らないだろうと。
 だから、浜で意識を取り戻したときは仰天した。周囲に人の姿は見られなかったから自力で目覚めたのだろう。奇跡と呼ぶことさえ生温い、まさに運命の悪戯としか思えなかった。
 なら、この男と会うのも運命だったのか。
 海に殺されるのではなく、この男の手に掛けられるべきなのか。
 ……折角生き残ったのに、そんなのは嫌だ。

「貴方は」
「俺は奴隷だ」
 雲が風に流され、闇に月光が差し込んでくる。金色の光が、男の姿を映し出した。
 猟師のようにがっしりと太い腕、太陽に晒された浅黒い肌、黒髪は後ろで一つに纏められている。顔のパーツはよく見えない。眼鏡を失くしたせいだろう。だからマシューは、彼を『黒』としか認識できなかった。
 彼も月光に照らされたマシューに思うところがあったのだろう、拘束こそ解かないが山刀だけは引っ込めた。
「……あの」
 ぼんやりと見える、黄金の光と黒い影。穴が空くような視線を感じるが、どんな目で見られているか分からない。まだ危機を脱していないのかもしれない。いい加減水分が足りないというのに、涙が出てきそうだ。
「人魚」
「え?」
「荒れた海から自力で生き残るなんて普通じゃねえ。なら人魚だろう」
「い、いえ! 僕は人間ですって、ほら声も出ますしヒレもエラも無いです」
「海で溺れた奴が、自力で息を吹き返せると思うか?」
 それには返答出来なかった。なにせ、マシュー自身が一番疑問に思っているのだから。
「それにあんたの髪、満月の薄明かりと同じ色だ。知らない色だ。だが血は赤い。俺と同じだ」
「髪は元々色が薄いだけですし、そもそも血の色が貴方と同じなのは当たり前です。人間なんですから」
「俺は奴隷だ。17番だ。奴隷は人間じゃない」
「17番? でも、貴方は」
 ふと、視線を逸らされた。
「ここは俺の、17番の島だ。だからお前を殺さない。俺はお前を生かすと決めた」
 鞘に戻した山刀を腰に差し、17番と名乗った男はマシューの身体から退いた。見上げているからか、男の身長は自分より高いように思える。
「あの!」
 背を向けて歩き出した男に、マシューは堪らず声を上げた。三日も歩き通しで疲労困憊、喉もカラカラだ。ここで17番と名乗る男に去られたら、マシューは遅かれ早かれ干からびてしまうだろう。堪ったものではない。
 男は振り返った。
 闇と同化して、幽霊のようだった。
「あの……水は、どこにありますか」
 食糧の在り処も知りたかったが、優先すべきは水だ。なりふり構っていられない。
 17番はこちらに戻ってきた。腰に手を伸ばし、何かを抜く。その鈍色は――さっきの山刀だ。
「井戸はここから遠い。だから、」
 突如、男は自分の指を刃で突き刺した。息を詰める音が聞こえた気がする。
 赤い雫が傷口から溢れて零れ落ちる刹那、男はその指をマシューの口に突っ込んだ。突然の事態に、マシューは歯を立てることも思いつかず目を白黒させた。
「……しばらく、これで我慢しろ」
 血液は美味いものではない。苦くて喉に引っ掛かって、何より鉄錆臭い。自分のだって嫌なのに、他人のとなれば尚更だ。
 だが喉がひりつく海水と比べたら、僅差ではあるがこちらの方がまだマシだと思う。
 少量であれば、の話だが。



 井戸のある場所へと17番は進む。
 血に酩酊したマシューは、17番の後をふらつく足で追った。
 ――ぬるい風が草木を揺らす、満月の夜での出来事だった。









殺伐系deロマン溢れる謎パラレル。誰だこいつら。ちなみに17番=アルファベット順でQ。
キューバさん(17番)が微妙に片言なのは英語に慣れてないせいです。多分植民地時代。
続くか…?


09/07/17

[]