1. ホットケーキ


 カナダの得意料理のひとつに、ホットケーキがある。
 外側はかりっとしたキツネ色で内側はふわふわ卵色。中まで火は通っていて生焼けだった試しがない。
 俺はこの食い物が好きだ。
 ナイフとフォークで食うっていう堅苦しさ込みでも、お釣りが来るくらいには。
 あの料理はカナダでしか食べたことがない。俺の国では作れないのだ。
 ……材料云々の問題ではなく、味と質の問題で。

「メイプル掛けます?」
「おう、たっぷりな」


2. クマ二郎さんと


 シロクマって大きくて強くてかわいいよね。
 いつかクマ五郎さんもあんな風になるのかな。


「……いや待て。シロクマが大きくなったら、そもそもこの家に居られねえんじゃねえの?」
「食事とかなら、僕のお給金で出せますって。ちゃんと将来考えてるんですから」
「いや、そうじゃなくてよ……」
 困ったような顔をして、コーヒーを啜るキューバさんが扉をちらりと見遣る。
「成体シロクマの大きさだと、扉とか風呂とか玄関とか通れねえだろ」
「あ」
 思い出すのは動物園のシロクマ。うちの扉を開けるというより破壊して、食べるというより貪るような。
 確かに無理だ。家全体をリフォームするか、お城のようなところに引っ越すしか手がないだろう。でもそれは出来ない。この家には随分愛着があるから。
「まだ大きくならなくていいからね、クマ兵衛さん」
 大人しく抱き締められているシロクマさんに囁くと、返ってくるのはいつもの棒読み台詞。
「オレガ大人ニナルマデニ カネタメロヨ」
「そうだね、クマ太郎さん貯金しないと」
 こんな収まりの良い大きさなのが、いつか動物園サイズになるのかと思うと勿体無い気になる。ずっとこのままがいい。けれど、成長するなというのは僕のわがままだ。だから僕はクマ蔵さんを養えるよう、僕に出来ることをしなきゃね。

「……つか、そいつの名前は太郎と五郎のどっちなんだ?」
「クマ之介さんはクマ之介さんですよ。ねー」
「オレノカワリハイクラデモイルモノ」
 クマ丸さんの言ったことはよく分からなかった。けどキューバさんが渋い顔をしたから、きっと性質の悪い冗談だったのだろう。
 そういえばクマ彦さんはいつまでたってもサイズが変わらないよねえ。かわいい。

 ……あれ?


3. 三人


「やっぱ剣だろ」
「いや銃だろう」
「銃なんざ使い捨てじゃねーか。戦場で鞘から引き出す瞬間の血の沸騰、アレを知らねえな!」
「俺は戦争で剣なんて使った事ねーよ。突撃銃か、悪くても山刀だ」
「……あ、あのー、コーヒー淹れましたよ?」

 キューバさんとプロイセンさんは、会えば必ず獲物の話をする。
 剣は銃より強しだとか、今時剣を生産しているところは少ないだとか。僕が居ることも忘れて、毎回この議題で喧々囂々の調子となっている。よく飽きないよね。
 プロイセンさんの時代は騎馬と鎧が主体の頃で、だから銃より剣を重宝したんだろう。
 対してキューバさんの戦いは最近のこと。銃が普及していたから、身近な刃物が山刀なのも頷ける。
 前者は騎士の国の前身だから剣に対するこだわりが並々ならぬもの。
 後者は自由を得るために使用した銃を、まあそれなりに信用していて。
 普通だったら大喧嘩になりそうな話が落ち着くのは、何故か僕が席についたときなんだ。
 僕がずっと立ったままだったら、二人は延々喋り続けるのかな。

「コーヒーに砂糖とメイプル、どっち入れます?」
「わざわざここに来たってのに、メイプル入れねえ馬鹿が居るかよ!」
「あー、俺は両方な」
「キューバてめえコーヒー侮辱してんのか」
 何だかんだで二人ともメイプルたっぷりのホットケーキが大好きだと言ってくれるし、今も意見の相違でプロイセンさんがむっとしてるけど、結局メイプルホットケーキに絆されてくれる。
 だから僕は二人が大好きです。


4. アロハ


 北国には北国相応の服装があるように、南国には南国特有の服がある。
 だから服に頓着せず互いの国を行き来すると、違和感のある光景に出くわす羽目になる。

 俺がカナダの家に行くと、三分の一の確率で珍妙な光景に出会う。俺にとっては極々普通の事なのだが、カナダで起こるのは稀だろう。
 そして今日はアタリの日だった。
「ハロー、キューバさん!」
 いつものようにクマを抱いているカナダ。だが服装に難アリだった。
「……もっと厚着しろよ、寒ぃのによ」
 家の中は暖房が効いているが、それでも冷気は窓や隙間から絶え間なく侵入してくる。そんな時期なのに、コイツは俺がやったアロハシャツを着てやがる。半袖のやつだ。明るい赤に黄色い花柄、暖かい模様がやたらと白々しい。
 ……もしかしたらクマで暖を取っているのかもしれないがな。
 半袖で外に出ようものなら、風邪どころか凍死してしまうだろう北国の冬を知っている奴。そいつが取る行動とは思えない。
「……ま、俺も言えたクチじゃねえか」
 ファスナーまできっちり締めた暗緑色のジャケットを見遣り、俺は今更だったなと苦笑した。
「気に入ってくれて嬉しいですよ。それ、地味だけど保温性は抜群なんですから」
「俺だって嬉しいがな、寒い時分はやめとけ」
「家の中は暖まってるから大丈夫ですよ!」

 おっとりとしているのに三分の一の確率で強気になるカナダの為に、今度は長袖のアロハでも贈ってやろうか。
 そしてアロハシャツに長袖がないのに気付いて、さてどうしようかと思案に暮れた。


5. アイスクリーム


 俺がカナダの家でホットケーキを食っていたとき、カナダはストロベリーアイスを舐めていた。
 二人で同じものを食うのが通例なのだが、カナダはアイスを食いたかったらしい。
「アイスは冷たくて美味しいですね」
「冷たくないならアイスなんて呼ばねえだろ」
「クレープのは生温いけど美味しいです。鉄板で焼くと香ばしくて意外とイケるんですよ」
「冷たいもんを熱しちまうのかよ」
「日本では揚げちゃうらしいですし、トルコのはすっごい伸びるんですよ」
「……なあ、俺達アイスの話をしてるんだよな?」
「勿論です!」
 力強く肯定されたが、微妙に噛み合わない会話内容だっただけに疑問を禁じえない。
 じっとカナダの顔を凝視する。薄いチークを乗せたような頬とストロベリー色の唇。冬の湖に似た双眸も少しばかり微睡んでいる。その様子にまさかなあ、と思いつつ白い額に手を当てる。
 汗ばんだ肌は常になく、熱い。
「お前、寝てろ」
「何でですか? アイスの話じゃないんですか」
「歩けねえなら運んでやるが、どうする?」
「……あの、アイス食べたいんですけど」
「んじゃ運ばせろ」

 そうは言ったが、誰が病人にアイスなんて食わせるものか。
 どういう理由をつけてアイスを取り上げるか、カナダを運びながら俺は頭をフル回転させた。
 ……全く、アイスの食いすぎで壊していいのは腹だけだってのに。


6. 葉巻


 今まで知らなかったことがある。

「葉巻って、すっごく煙たいですね」
 店で売っている紙巻煙草の煙は細くたなびくようだが、葉巻は違う。とにかくすごい。稼動中の煙突みたいにモクモクしてる。僕は煙草を嗜まないから知らなかった。
「紙巻も悪かねえんだけどよ、味気ねえんだよな」
「何が違うんです? 煙草にも甘いとかあるんですか?」
 空間に重く留まる煙が流動して消えていく。窓際で吸うキューバさんは、絵になるというより写真で残したい。太陽を背にしているのに、葉巻の先だけが不可思議に点滅している。けだるげに煙を吐く姿は、映画の男優みたいに自然でぞわりとする。
 前言撤回、こんなのを写真で残したら大変なことになる。僕が見ていれば十分だ。
「カナダは吸うなよ」
 葉巻を指に挟んだキューバさんが言う。甘かったら吸いたい、なんて僕が駄々をこねると思ったのだろうか。
「言われなくても、そういうのは吸いません」
「ならいいんだけどよ」
「それで、煙草の味ってどうなんです?」
「今は色んなフレーバーがあるからな、甘いのも勿論ある。けど、あくまで煙草吸う奴が言う『甘い』だ。お前が好きな『甘い』は苦味に隠れて分からねえよ」
 的確な助言に思わず苦笑した。
 初めて煙草を吸ったとき、あまりの苦さに咳き込んだのを思い出す。煙草を手にしたのはあの一度きりで、もう何十年前のことかも思い出せない。
 若気の至りというか、あれは単純な好奇心だった。
「葉巻、似合いますね」
 目を細めて逆光の彼を眺める。紫煙がキューバさんを取り囲んで、そこだけ靄がかっていた。煙と浅黒い肌が奇妙なコントラストを作って、どこの芸術作品にもないような静けさの美を生む。
「俺が作ってるんだ、俺に馴染まないはずないだろう?」
 どうって事もない風で、彼は葉巻を吸う。
 僕はそれを飽きもせず眺めて、ちょっと会話を交わして。
 彼が葉巻を作っていると聞いて、僕はちょっとだけ、それを吸ってみたいと思うようになった。

 ……僕は好きな人の真似をしたくなる人種だったなんて、知らなかったよ。


7. 遠くて近い


 キューバさんに念押しされた約束その一、大事な郵便物は送ってはいけない。
 ……諸々の事情で、届かないことがあるんだって。
 電話も通じないことが多くて、遠く何千キロと海と山とを隔てた遠距離恋愛は、正直寂しい。
 恋ってものは分解してしまえば妄想と同じだけど、愛ってのは相互理解と同義だ。電話も手紙も届かない相手。紡げない愛感情は誰に届くでもなく、瀑布の激流のように溢れ叩きつけ、だが不思議と枯渇しない。

 恋は妄想、愛は理解。
 その持論で言うなら、僕は彼を信じているのだろう。
 ラティラーノ丸出しのキューバさんは、きっと自分の欲望のままに行動している。
 踊りたいと思ったら踊るし、美女が居たら声を掛ける。自転車に乗って街中に繰り出し、国民とだらだら話しをしながらコーヒーを啜って。
 キューバさんは僕を好きって言ってくれたけど、彼の愛はひとつじゃない。
 文化の違いなのだろうけど、不思議と嫉妬できないのも事実だ。だってキューバさんは生活を楽しんでいる。僕の居ない空間で笑っているのはちょっと悔しいけど、仕様の無いことだ。彼の呼吸をせき止められないのと同じ。
 ……相互理解は、諦めることに似ている。
 宗主国兼保護者はアメリカを殊更に可愛がっていた。僕はあまり構われなかった。あの頃には僕は諦めることを覚えていたっけ。
 愛することは諦めること、なのかなあ。

 あ、電話が鳴ってる。
 相手がキューバさんだったらいいな。今の僕は泣きたくなるほど寂しいから。
 物理的距離を縮められないから、心だけでも近くに寄せて欲しい。
 大勢の中の一人でも構わないから。


8. 冬のふたり


 真冬のカナダには行かないほうがいい。
 そう咎める上司を笑って追い返し、俺は今カナダの家に来ている。

「外さっっむいな!」
「まー、ちょっと北に行けば北極圏ですからね」
「雪だ! 雪が積もってるぞ!」
「北国ですからねー。雪が止んだらアイススケートでもしに行きますか?」
 おっとりゆったり喋るカナダは、さも当然のように俺の家ではあり得ない単語を紡ぐ。言っとくが、俺はアイススケートなぞやった事がない。南国なんだから当たり前だろうが。
 甘くしてもらったコーヒーに口をつけて、しみじみと思う。ここでは俺のルールは通用しないのだと。好きなときに外に出たり、踊ってる奴らに勝手に混ざったり、誰かの畑からサトウキビを失敬するのも、全部あり得ないこと。そりゃ文化も言葉も違うしな。
 アメリカにハブられてすっかり忘れてたが、夏があれば冬もあるんだった。他の国に行く機会なんか無かったから、本当すっかり忘れちまってた。
「カナダ、雪で出来ることって何がある」
「え? そうですね、スノーマンにユキガッセン、あとはウインタースポーツ全般ですね」
「全部やるぞ」
「ええっ、全部ですか!?」
 よくよく考えてみると、俺はこんな寒さを経験したことがない。雪も初めてだ。
 となれば、文化の違いを全力で楽しむのが俺らしさだろう。
「でも、ユキガッセンは人数居ないと出来ないですよ!」
「いいんだよ、やってる奴らに混じっちまえばいい」
 そりゃ肌の色も言葉も違うけど、遊びに混じるくらい良いじゃないか。嫌がられたら謝ればいい。俺の家ではそれが普通なのだから。

 だが、どの遊びもルールが分からない。
 そのあたりは、カナダからおいおい聞き出すことにしよう。


9. 幸せのメイプルシロップ


 普通のメイプルシロップは琥珀色だ。
 しかし、あれは混じり気のない黄金色だった。蜂蜜より澄み、夜明けを漬け込んだような金。
 俺はあれが好きだ。

「で、どんな幸せを頂いたんだい。プロイセンのあんちゃん」
「散歩してたら信号全部青だったぜ! クジ引いたら二等だったし、暑いときには水入りバケツが降ってきた」
「……最後のはラッキーというよりミラクルだな」
 ドイツから俺の家にはるばる旅行に来たプロイセンのあんちゃん。アロハと短パンを装備した外見は、俺が言うのもなんだが柄が悪い。駄目な闇屋の例みたいだ。派手な色を組み合わせてるから尚更胡散臭い。
 酒場でトランプを切っている姿は、的外れすぎて逆に馴染んでいるようにも見える。すげえな。
「すげえよなあ、あれ。どうにかして輸入できねえかなあ。丁度いいから直談判でもするか」
「あんちゃん、そりゃ無理だろうぜ。あれは希少なんだってカナダ言ってたぞ」
「チッ、駄目か……ってちょっと待て、どうしてそんな貴重なモンを俺に寄越したんだよ」
「あんたが『一人楽しい!』って連呼してんのを聞いたから、だってよ」
 トランプを混ぜる手が止まる。横目で顔を伺うと、特徴的な赤目に涙が浮かんでいた。指も震えているようだ。その癖口元は歪んだ笑みを浮かべているのだから、器用にごちゃまぜた不気味顔になっている。黙っていれば美形、ってこういう奴のことを言うのだろう。いっそ哀れだ。
 だがそこは俺式。ラティラーノはちょっとやそっとじゃ止まらねえぜ。
 後ろをちょっと確認して、俺は震えるあんちゃんの肩を叩いた。
「プロイセンのあんちゃん、ちょっとした手品をするから種を見破ってみろよ」
 泣き笑いの視線がこっちを向いたのを確認して、俺は両手を椅子の後ろに回した。プロイセンのあんちゃんは正面に座っているから、ちょうど死角になっているところだ。
「さてさてお立会い、俺の尻ポケットから取り出したるは……」
 後ろに回した手に容器の感触を覚えて、思わず苦笑してしまった。
「え、それ、」
「この手品のタネ、見破れるか?」
 俺の手にあるのは、さっきまで話題にしていた幸せのメイプルシロップ。瓶にラベルは貼られていないが、この色はあれ以外にない。蓋を開けるまでもなく分かるくらい、俺はこれが好きなのだ。多分プロイセンのあんちゃんも。
「これが噂の転移魔法か! てめえイギリス以上の魔法使いか!」
「んな訳ねえだろ。手品だ手品。タネがあるって言ったろ」
 うんうん唸るプロイセンのあんちゃんは、タネに気付かなかったらしい。戦場を駆け抜けた軍国すら知覚できないなんて、これはある種の才能ではないだろうか。
 背後に視線を遣ると、俺の足元でブロンドがぐったりしている。
 ……座り込んだカナダがいじけているのだ。かくいう俺も気付くのに遅れた。
 少なくとも幸せのメイプルの話をしている時には既に居た。扉に背を向けている俺はともかく、プロイセンのあんちゃんに感付かれないとは思わなかった。
 この手品のタネは単純明快。俺の手にカナダが何かを乗っけただけだ。
 魔法? ありえねえだろ。
「うー、分かんね! タネ明かしをしろ!」
 一分前のことなど忘れたように騒ぎ出すエセチンピラに、俺はブロンド頭を軽く叩いた。
 もそもそと動くカナダ。その気配に猫のように毛を逆立てるあんちゃん。
「だ、誰だ!?」
「カナダですよ!」
 初めて見る怒ったカナダに、つい笑ってしまった。

 幸せのメイプルって、持ってるだけで幸せになれるんじゃないのか。
 瓶詰めの黄金色と隣のブロンド。並べてみると、両方同じ色をしていた。
 だから、俺はこれが好きだ。