「ヒトナリがホールから動かない」
突然部屋に押しかけてきたデントは俺にそう切り出した。
「話しかけても相槌しかしないで機械的にコップに口をつけてる。疲れているなら部屋に戻ればいいのにホールの椅子から離れようとしない。お前、ヒトナリに何かしたのか?」
軽い口調で尋ねられたが、その眼光は動力班とは思えないほど鋭い。
「別に、何も」
だが俺が適当に返事したら、デントは途端に全てが面倒になったみたいにため息をついた。
「喧嘩したなら早く謝ってやれよ。相当へこんでるぞ、ヒトナリの奴」
デントは言い終わると、俺のアクションを待たずにさっさと部屋から出て行った。おせっかいを焼きにきたというより、面倒事はさっさと終わらせたいといった態度。デントはヒトナリと親交があるから報告にきただけ、と捉えることもできるが。ともかくヒトナリがえらく落ち込んでいるのは間違いないようだった。
俺が仕組んだこととはいえ、あいつがたった一言で傷付くとは思わなかった。
俺が勝手に腹を立てて勝手に八つ当たりした結果、第三者が勘付いてしまうほどヒトナリが沈んでしまうなんて。
俺は書類仕事というものが苦手だ。目の前の敵を掃討するのが仕事なのだから細かいことなんか覚えちゃいない。だから報告書に纏めろと言われても、何処で何を倒して何人の損害を出した、くらいしか書けなかった。その点ヒトナリはよく覚えていて、何階に何が居たとか何を話したとか録音録画機能でも付いてるんじゃないかってくらい詳細だ。
元々レッドスプライトとエルブスの護衛として配属されただけに、机に齧り付くより戦場で銃を構えている方が俺の性に合っていた。だから俺の報告書は短い。必要な部分だけを抜き出しているといえば聞こえはいいが、要するにいい加減なのだ。だからヒトナリの報告書と並べるとどうしても見劣りする。それに感じることなど何もないが、どうしてあんなに書けるのかと疑問には思った。
報告書に書くことがそんなにあるのか。俺の問いにヒトナリは「ああ」とだけ答えた。
「お前、嫌いだ」
あのとき俺が何を思ってあんな事を言ったのか、未だに思い出せない。
多分、頭に血が上っていた。ヒトナリという兵士は俺よりも強く、教養があり、何より運に恵まれていたから。
いくら強くとも運がなければ戦場では生き残れない。そしてヒトナリは間違いなく天運を味方につけていた。
ヒトナリが傷つくだろう言葉をあえて選択したのはきっと八つ当たりだった。あいつは何も悪くない。
……だから、謝罪するべきは俺なのだ。
「だけど、どうしたもんかな」
謝るってのは難しい。そりゃソーリーの一言だけで終わるならいい。どうして謝るのか何が悪いと思うのか、そんな事を根掘り葉掘り訊かれるのが嫌なのだ。悪いと思ったから謝る、それ以外に何がある。そう言えば大概の奴は俺を罵る。だから謝るってのは難しいし面倒だ。
そういう状況になったらさっさと退散するのが俺の定石なのだが、さてヒトナリにはどうしたものか。
意味のない問答を繰り返していたらすぐホールに着いてしまった。がらんとした空間に丸まった背中がひとつ。デントの言っていた通り、見るからに消沈していた。手の中のコップは空なのに気にしている様子もない。
嫌い、そう言われるのがそんなに堪えたのかと、俺には不思議でならなかった。
とはいえ加害者は間違いなく俺なので、まずは詫びることにする。
「ヒトナリ、さっきは悪かったな」
「ああ」
顔を伏せたまま戻ってきた返事に、俺はやっと異常な状況に気付いた。
ヒトナリが相槌しか打たない、機械的にコップに口をつけるだけ。デントがそう言っていた。
既にコップの中身は尽きているのにヒトナリはそれに気付いていない。凹んでいる悩んでいるというより、放心しているという表現がぴったりだ。いつもは真っ直ぐに伸びている背筋は猫みたいに丸まって、前しか見えていない風の両目は壁とも床ともしれない方向に向けられている。
親を待つ子供じみた不安の表現だ。俺より年上の癖にこいつはどっか抜けている。いや、足りないと言った方が的確か。
ヒトナリの手からコップを抜いてもさほど抵抗されなかった。コーラを二人分注いで、輪を作ったままの手にコップを戻す。俺はヒトナリの隣に腰掛けて、発するべき言葉を探った。
「なあヒトナリ……俺を、許してくれるか?」
「ああ」
「そうか、そいつは良かった。俺はお前に嫌われたくない」
「ああ」
本当に相槌しか打たない。何を言ってもこの調子なら確かに困る。デントは何とかしろと言うが、これは俺のせいというよりヒトナリの悩みすぎが原因じゃないだろうか。俺は嫌いと言われても何とも思わない。陰口を叩かれるから慣れてしまった。だからヒトナリも「嫌い」程度の言葉では動じない人物なのだろうと、完全に誤認していたらしい。
「俺はお前が嫌いじゃない」
「ああ」
これも駄目か。軽く舌打ちをして、少し言い方を変えてみる。
「俺はお前が好きだよ」
口にして、これじゃ愛の告白のようだと苦笑した。
好き、ねえ。
わざとらしい睦言、嘘はついていないが誤解を招いても仕方がない言い方を敢えて使った。そっちの方がヒトナリも受け入れやすいと考えたのだ。相槌ばかりで実りのない会話は終わるだろうと。
だが、俺はまたしても見誤った。
「好き」
ぽたり、色のない水滴がヒトナリの両目から一粒ずつ零れ落ちた。泣いている。あのヒトナリが、俺のせいで?
それはあまりに衝撃的だった。嫌いと言えば放心するほど落ち込み、好きと言えば無感情に涙を流す。全部俺のせいで。俺が言わなければヒトナリは涙など見せなかっただろう。
俺はこいつの心を揺らせる。それに気付いて、胸から溢れ出したのは紛れも無い歓喜だった。
「俺は、ヒトナリが、好きだ」
もう一度はっきりと繰り返せば、濡れた目がゆっくりとこちらに向けられた。水の膜が張られた眼球は室内灯を反射して星明りみたいだった。綺麗だと、素直にそう思った。
「聞こえないなら何度も言うからな。ヒトナリ、俺は」
馬鹿みたいに俺は何度も好きだ好きだと繰り返す。
そしてヒトナリが俺を呼んだとき、自分の発した言葉がヒトナリを慰める為に口にしたものでないと知ったのだ。
「ヒメネス、ありがとう。もう大丈夫だ」
好き。それは間違いようのない俺の本音だった。