Evil Feeling...

  1. One
  2. Two
  3. Three
  4. Four
  5. Five

お題元:確かに恋だった(主従関係で強気な従5題)
背景画像:フリーフォント「Recife Dings」

One

「ヒメネス、待て」
 追いかけてくる声は少しばかり震えていた。疲労からくるものではない。感情のぶれが声に現れたのだろう。
 人では到底出せないスピードで動かしていた足をスライディングの形にして止めた。靴底の焼ける臭いが鼻を突く。人間仕様の靴では幾ら丈夫でもすぐ底が抜けるかもしれない。全く、強度が足りない。
「お前は後から来いよ。俺が追いかければ獲物は捕まえられるんだ」
「それでは意味がないだろう」
 案の定、追いついたヒトナリは息切れひとつ起こしてなかった。予定外の事態が起きて吃驚しただけなのだろう。デモニカ越しでは表情がよく見えないが、きっといつもの仏頂面だ。つまらない。
 悪魔になったからといって特に何も変わらなかった。敢えてメリットを挙げるなら、四六時中追い掛け回してもストーカーではなく仲魔扱いされるくらいだろうか。それで何とも思われていないのが最大のデメリットだ。
 腕力や魔力、瞬発力が飛躍的に向上したのは単純に嬉しかっが、俺は判断を誤ったらしい。人間の頃のココロに引っ張られて、ついヒトナリの仲魔になってしまった。俺にとってのバガブーと同じように扱われているが、結局のところ何も変わっていない。
 人間の頃は自らの性癖を否定したくて。
 今は主人を害することをプログラムで禁止されている。
 人間独特のやわい自制心など、悪魔になったらゴミ同然の代物になった。要らないもの。邪魔なもの。身を重くするそれらを全部かなぐり捨てて、俺は新生した。
 俺は間違っていない。あの場で悪魔になる選択肢を選んだのは正解だった。
 だが俺は間違えた。決定的で致命的なミスを犯した。畜生。
「仲魔よりも同志の方が良かったのかもなァ」
 そしたら力任せに襲いかかれたのに。
 デモニカを引っぺがしてスーツを引き裂き、白い肌に赤を撒き散らしたかったのに。降らせるのは鬱血でもワインでも薔薇の花びらでも何でもいい。白を汚すなら色鮮やかな赤が最良だ。
「お前が何処にも行かないなら、どちらでもいい」
 金色のデモニカで覆われた頭部から漏れ聞こえる声はくぐもっていて、少しばかり癇に障る。
 ああ、早く地上に出たい。以前の俺も装備していたその兵装が、今はとても憎らしい。


Two

 つまらない。退屈だ。時間を持て余している。
 調査隊の隊員から外されて書類仕事から解放されたのは良いが、ヒトナリが相変わらず暇なしなのに些か苛立ちを感じていた。
 俺は悪魔でありながら艦内召喚禁止の規則に縛られていない。書類上は人間として登録されているし、変容したクルーに対する扱いは慎重を期すべきだとアーサーは結論を出したのだろう。おかげで窮屈な思いだけは味わっていなかった。
 ヒトナリと同室なのは以前と変わらなかった。だが俺はあまりベッドを使わないから、二人部屋を一人で使っている感が否めない。人間が必要とする衣食住など、俺には必要ないのだ。
 退屈は嫌いだ。特にヒトナリが寝ているときなど最悪で、暇だしお預け状態だしで酷い飢餓に陥る。いっそデモニカに収容しろと訴えたくなるくらい、つまらないのが嫌いになった。
 今だってヒトナリは規則正しくキーボードを叩いている。
 こいつは普段から無口だが、仕事中は呼吸しているのか怪しいほど静かだ。
「ヒトナリ」
 床に座り込んだまま声を掛ける。だがヒトナリに俺の声は聞こえなかったらしい。
「おい、ヒトナリ」
 キーボードのタイプ音が不快だ、粉微塵に破壊してしまいたい。いや、パソコンを破壊してもヒトナリなら別の部屋で作業を続けるだろう。ならその腕を壊そうか。プログラムが認識しないレベルで、作業できなくなる程度に。力加減が難しそうだが何とかなるだろう。
「どうかしたか」
 腕を動かそうとした瞬間、ヒトナリがやっと返答してきた。くそ、タイミングの良い奴。
「暇、ひまー、何かしようぜ。天使狩りしてえな」
「報告書が上がったらな」
「いつ終わんだよ。俺ァ退屈だってんだ」
「もう少し待ってくれ」
 そう言って作業を進めるヒトナリだが、現状の俺が暇なのに変わりはない。
 ヒトナリに損害を与えてみようか。俺は考える。流血沙汰は起こせないが、それ以外にもこっちに意識を向かせる方法はある。
 例えば、主人の身体に触れたり舐めたり擦ったり突っ込んだりしたとしても、プログラムはそれを反逆と捉えないだろう。
 何故なら俺は労わる。俺は傷をつけない最大限の努力をする。殴らないし破壊しない。ただ意識をこっちに向かせるだけだ。
 ……これくらいの瑣末、駄目な訳ねえよな?


Three

 飢えに苛まれる時間が来た。
 目の前には横になって弛緩している餌。元同僚のご主人様。食いたくてしょうがないのに我慢しなけりゃならないなんて、悪魔にとっては生殺しとしか思えない。悪魔召喚プログラムのフェイルセーフはいささかサディスティックが過ぎる。
 規則正しく上下する胸に呼吸と血潮の音を聴き、寝返りの振動を肌で感じる。何で俺はあそこに行けないのか。どうしてベッド脇でヒトナリの寝顔を眺めるだけしか出来ないのか。
 分かり切っている、俺がこいつと同じベッドに入れば寝るだけでは済まないからだ。
 俺の行動を読み取ってか、プログラムは俺の動きを制限する。だからあそこに入れない。
 スーツを脱ぎ髪を下ろし、寛いだ風で枕に頭を預ける姿はハイスクールの学生のようだ。アジア人は得てして年若く見えるものだが、ヒトナリの年齢が俺より上だって知ったときには酷く驚いた。
 初顔合わせでゴアと並んだヒトナリの姿は校長と生徒のようだったのを思い出す。あのときはヒトナリもろくに喋らず、俺もデモニカの説明しかしなかった。それが今じゃこうなるなんて、誰が想像しただろう。
「お前が許可すればいいんだ」
 腹が減った。生命力でも精力でも肉でもいいから何か口にしたい。
 退屈だった。体内で暴れまわる悪魔の力を思うさまふるって全て粉々にしてしまいたい。
 俺の全ての欲求は、ヒトナリを通してでないと発動するのを許してもらえない。
「ヒトナリ、おいヒトナリ」
 仲魔になれば我慢することばかりだ。ならいっそ削除してくれ。それも駄目なら、許可してくれよ。俺が自由に行動できるように、レッドスプライトから出てシュバルツバースを歩き回る許可を、お前が出してくれ。
「なあ、お前を傷つけたい訳じゃないんだ。だから、」
 ストレスが、黒い力が、悪魔の本能が、あらゆるものが臨界点を超えようとしている。

 早くヒトナリ、その目を開いて俺に許しを出してくれ。そして俺を放逐しろ。
 それが出来ないのなら、俺との共寝の許可を出してくれ。
 俺はもう限界なんだ。


Four

 心が軋む音を聞いた。
 ヒトナリの手が震えている。がたがたと照準が定まらないが、それでも構えだけは解かない。
「ヒメネス、お前には何が見える」
 震える声でそう尋ねられて、ヒトナリの見ているだろう方向に目を向けた。
 俺には次の部屋に続く扉しか見えない。銃を向ける危険はないように思えた。
「何もない。敵も味方も誰も居ねえ」
「……そうか」
 ヒトナリの手から銃がこぼれ落ちる。脱力しきった腕は未だ震えが止まっていない。
「何が見えたんだ」
「……お前が、銃を向けていた。デルファイナスのときと同じように、怒りながら笑っていた」
「そいつぁ随分と悪趣味な幻覚だ」
 つまり素顔の俺がこいつに銃口を向けていたんだと。ヒトナリは何にショックを受けているのだろう。幻に現れたのが俺だったことか、それとも俺が引き金を引こうとしていたからか。
「ヒトナリ、お前が見た俺の姿は“昔の俺”のものか?」
 苛立ちが声に出ていたのかもしれない。ヒトナリの肩が微かに揺れた。
「少なくとも、銃を持ってた時点で“今の俺”じゃないのは分かったぜ!悪魔になった俺の腕力じゃ、引き金を引いただけで銃がぶっ壊れちまうからなァ!」
「違う、お前と間違えたんじゃない。俺は」
「ただ動揺しただけ、だろう? 知ってるさ。だが許せるとは限らねえな」
 地面に転がった銃を拾って、ゆるく構えてみる。久しぶりに銃に触れた。以前は手元にないと落ち着かないくらいだったのに、今ではガキの玩具にしか見えない。そして俺はヒトナリに銃口を向けた。引き金に指を置いて、やろうと思えば殺せる位置で。
「忘れないでくれよ、俺は“俺”だぜ? 人間の俺は溶けて消えたんだ」
 照準をヒトナリから天井に逸らして引き金を引く。火薬の炸裂する音と金属のひしゃげる音、それが同時に響き渡った。
 悪魔には人間用の銃は脆すぎる。ゴミになった銃を捨てて、俺はヒトナリの肩を抱いた。
「本物が隣に居るってのに、踊らされんなよ。もしお前が再び人間の俺を見るようなら、俺はその幻を殺してやるからな」
 隊長だろうが天使だろうが昔の俺だろうが、今の俺のものを惑わそうってんなら容赦はしない。
 ……ああ、でも、出来ることならいっそ。
 未だ震え続けるヒトナリを、この場から連れ去ってしまいたかった。


Five

 ヒトナリの心が傾いている。俺の嬉しくない方、悪魔の存在を許さない勢力へと。
 それが天使か人間かまでは判断が付かなかったが、揺らいでいるのは分かった。ヒトナリはどうしたいのだろう。天使の勢力について俺達を殺し尽くしたいのか、地上に戻って俺を実験動物にしたいのか。どっちも遠慮したいものだ。
 どうしたらヒトナリを悪魔の勢力に引き込めるか。俺は考えた。だが俺はただの仲魔だ。優先権はヒトナリにあり、俺に許されるのは喋ることだけ。実力行使はプログラムで禁止されている。
「お前を元に戻せるかもしれない」
 それは忌々しい天使の歌唱で? そんなの願い下げだ。
「地上に戻ったら、ヒメネスは何をしたいんだ?」
 酷い奴だ。俺を地上に引きずり出して、人間達に石でも投げさせるつもりか。
 ……ああ、分かってるさ。こいつも希望とやらを模索しているんだ。地上に出れば何とかなると思いたがっている。
 人間がどれほどの害悪であるかを示すシュバルツバース。悪魔になった俺。天使になったゼレーニン。ゾンビになった隊長。全ての分岐点はヒトナリに集約されている。
 ヒトナリがいなければ俺は悪魔である意味をなくし、ヒトナリを得なければゼレーニンと隊長は悪魔の勢力に潰される。
 俺はヒトナリの手で生まれ、ヒトナリの傍で育った。ヒトナリが俺を否定するようなことは、あってはならないのだ。だから俺は地上を望みながら同時にヒトナリを欲する。恋や愛なんて綺麗な感情じゃない。これは執着だ。
 ヒトナリ、お前は俺が人間に戻れると思うのか。
 いや、お前はただ逃げたいんだろう。俺が悪魔になった事実から目を逸らしてしまいたいだけなんだ。
 だから地上に逃げ帰って、凱旋して、きっと俺を忘れる。
 そんなの、俺が許せると思うか。
「俺はここに残る。俺にはこれくらいが丁度良い」
「……だが」
「悪魔化した俺が地上に戻っても何もない。天使も人間もいずれ俺を殺す。なら、生きる道はひとつだけだ」
 ヒトナリは迷っている。任務に殉じるか使命に生きるか、俺と共に生きるか。
 ヒトナリと殺し合うのは想像するだけでいきり立つものがあるが、共に生きてくれるなら俺はヒトナリに触れられる。
 夜長の飢えから救われる結末を得られるかもしれない。
 だから俺は、悪魔になって初めての嘘をついた。

「俺を殺さないでくれ、ヒトナリ」
 迷いに揺れていたヒトナリの瞳が、ぴたりと、止まった。