「百の言葉万の想い」



(すきだ)

 耳ではないところから注ぎ込まれる、声。
 その意味が分からなくて、俺は目の前の男を凝視した。

(ああ、そうか。オレ、カトーが好きなんだ)

 周囲に響いている――実際の音ではない、本人のみが受信できない念波のようなものだ――だろう小さな囁き。胸に叩きつけられる衝撃は図り知れず、表情が強張るのが自分でも分かった。
 気付かれてはならない。聞こえていることに気付いているのを、悟られてはならない。
 無様に震えそうになる足を叱咤して、必死になって平静を保つ。アンソニーは目をまん丸にしてこちらをじっと見つめている。視線に物理的干渉力があったなら俺は蜂の巣になっていただろう。視線に殺されてしまいそうだ。
「カトー?」
(好きだ)
「――っ!」
 声帯から発せられる声と脳から発せられる声が重なって、現実がどこにあるのか分からなくなる。想いの塊は強烈だ。特に恋慕というものに関しては。それを二つの器官から同時に詰め込まれて、何も感じずにいろという方が難しい。
「どうしたんだよ、カトー。熱でもあるのか?」
(好き、ああ、好きだ。どうしてこんなに好きなんだろう。分からない。でも、どうしよう、本当に)
 脳から侵されて、どうにかなりそうだ。
 自分が赤面しているのか蒼白になっているのか、それすら把握できない。衝撃はそれほどに大きかった。
 アンソニーが、俺を、好き、だって?
 もしこれがアンソニーでなければ冗談だろうと笑い飛ばせたかもしれない。でも、嘘のつけないアンソニーだからこそ、俺は笑えなかった。生まれたての感情、まるく角のない、純粋な想い。それだけでこれほどの力があるのに、時を経て欲が生まれたら、それを受信してしまったら、俺はどうなってしまう。
 ぞわりとしたものが皮膚を覆った。それが嫌悪からくるものなのか、未知への恐れなのか。知らない、こんなのは。他人の想いとはこれほどまでに強いものなのか。それともアンソニーが特別強いだけなのか。
「……喋れないくらい、気分悪いのか? だったら早く医務室に行った方がいいよ。歩けるか?」
 ああ、耳を塞ぎたい。混乱する俺はどちらの声に反応すべきかの判断が上手くできないだろう。どちらが心の声だ? どちらが肉声だ? 分からない。告白されているのかされていないのか、俺には。
「大丈夫、だ。すまない、少し頭がふらつく」
「じゃあ」
「医務室に行くほどじゃないよ。一眠りすれば落ち着く」
(眠って落ち着く? そんな顔色じゃないのに、カトーはやせ我慢しすぎだ。オレが運べば医務室に行ってくれるかな)
 漏れ出た本心に肩が跳ねた。運ぶって、どうやって。いや、言わなくてもいい。どうせお前は尋ねずとも勝手に語ってくれるだろうから。
 はっきりと顔から血の気が引いていく感覚。これは多分、恐怖だ。アンソニーが分からないという恐怖。誰よりも分かりやすいと思っていた奴が急に分からなくなって、知らない誰かになってしまったかのような。

 口数が多くてやかましい年下の同僚が、今は、途轍もなく。
 怖い。

「ありがとう。でも、大丈夫だ。俺の部屋は近いんだから、倒れることなんてないさ」
「じゃあ、ついていくよ。それくらいならいいだろう?」
(大丈夫なはずがない、そんな顔で)
 お前の目から、俺の顔はどう見えているんだろうな。
 同性で一回り近く年が離れている相手に恋慕を湧かせるんだから、その目は調子が悪いんだろう。いつもより虹彩が青くきらきらしているのに。きっとお前も疲れているんだ。たっぷり眠ってすっきり目覚めれば、いつものように女悪魔の尻を追うんだろう?
 正気に戻るなら早いほうがいい。誤認を本物だと受け止めてしまう前に。
(足元がふらついてる、肩が揺れてる、オレより細い指だ。冷たいのかな、冷たいんだろうな)
 隣を歩くアンソニーの声ではない声が思考を刺激する。
(支えたい。補助でもいいから)
 横目に見たアンソニーは眉を下げていて、口を開いては閉じてを繰り返している。あの口は支えたいとでも言いたいのだろう。俺が断ると知っているから言わないだけで。俺がどれだけ意固地なのか知っているから。
「着いたよ。本当に一人で平気か?」
「……もういい、ありがとう、アンソニー」
 冷や汗が浮かんでいるのを承知で、俺は真横で右往左往する男に微笑んでやる。上手くできただろうか。口元がひきつっていただけかもしれない。
(本当に好きなんだな、オレ)
 小さな呟きが、噛み締めるような音調で奏でられる。どんな言葉よりも静かで情熱的で純粋な、色のない想い。アンソニーは何も悪いことをしていない。想いを口にしていないのだから。ただ思考の蓋がほんの少しずれていて、そこから溢れた思考を周囲に零してしまうだけで。
 アンソニーは悪くないのだ。
 言い聞かせるように俺は何度も脳内で唱える。アンソニーは悪くないのだと。
「具合悪くなったら、すぐ医務室に行ってくれよな」
「ああ……分かってる」
 俺は彼の心の声を必死で否定しながら、知らず顔で自室に戻った。ベッドに潜り込んで、初めて耳を塞いだ。

(オレはカトーが好きだ)
 しかし声は聞こえてくる。
(でも、カトーに嫌われたくない。こんなこと言ったら嫌われるかもしれない。そんなのイヤだ。イヤだイヤだイヤだ!)
 それは噴出する間欠泉に良く似ていて。
(だったら、)
 不意に訪れた、一拍の静寂。

(オレは言わない。カトーが好きだってこと、絶対に言わないよ)
(だからオレを嫌わないでくれよ、頼ってくれよ、言わないから、絶対に言わないから、ねえ、カトー)

 否定も肯定も許さない、許されない、いっそ暴力的な声の洪水。
 痛いほどに伝わってくる想いに、知らず涙が零れた。俺の涙はアンソニーの想いのようにまるくはならず、枕に染みを作ってすぐに消えた。


 誰かあいつの間違いを正してくれ。  でなければ、早く――





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アンソニーがサトラレだったらパラレル。
王道ですね。だがそれがいい。

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10/04/29