恋は不確定な感情の奔流、愛はダムの溜池のようなものだと誰かが言っていた。
この歳で愛だ恋だと騒ぐのは恥以外の何者でもないが、もし、同性間であるにも関わらず友愛の言葉すら口に出来ないのだとしたら。
それはきっと、忍ぶべき恋なのだろう。
「お前、嫌いだ」
俺がその恋とやらに気付いたのは、相手から嫌われた瞬間だった。
相手とは俺の同室人、ヒメネスを指す。同室なのだから当然男だ。彼から嫌いという言葉を聞いた瞬間、俺は二重の意味でショックを受けた。恋していたんだと知ると同時に失恋したのだから、精神的負荷は計り知れないものがある。
音は聞こえる。視界も良好だ。だがそれを受信して正しく使用する能力が著しく低下している。失恋とはこれほど心身にダメージを与えるのだと身をもって知ってしまった。知りたくもないのに、知らずにいればどれほど良かっただろう。
聞く機能だけは正常な耳が音を拾っていたが、俺はそれに生返事を返して部屋を出た。彼と同じ部屋に居ては心的ダメージは増えゆくばかりだからだ。俺は行くあてもなく艦の廊下をふらついた。行き着いたホールで適当に選んだジュースを飲んでいると誰かに話し掛けられた。それが男か女かも、何と返事したのかすら覚えていない。
茫然自失。あのときの俺はそんな状態だった。
むしろ部屋から出て行くという判断を下しただけでも十分理性的だと思える。ヒメネスも嫌いな相手と部屋を共にしたくないだろうし、顔を見合わせることすら嫌がるかもしれない。声を出せばもっと嫌われるかもしれないし、下手すれば近寄るなと睨まれるかも分からない。
……ああ、俺は嫌われてしまった。
望みの糸は全て焼き切られ、完膚なきまでに嫌悪されてしまったのだ。
ここに酒があれば多少鬱憤が晴れたかもしれないが、そう贅沢は言っていられない。胸の中にわだかまった感情の奔流を洗いざらい吐き出してしまいたいが、そういった相談を誰にしていいものか分からない。仲魔相手になら吐き出しても支障はないだろうが、部屋に戻れない以上召喚することも許されない。ああでも、もし誰かが聞いてくれるとしても、どこから何を話せばいいのか俺自身も検討が付かなかった。
……あのとき、俺達は他愛ない話をしていた。
色恋など全く関与しない話題で俺とヒメネスの意見が対立し、その末に飛び出した「きらい」の三文字。
ヒメネスは冗談半分に言ったのかも知れない。その話題限定で俺と反りが合わないという意味だったのかもしれない。どっちにしろ己の感情の方向性を知ってしまった俺からすれば頭を鈍器で殴られるように響く言葉だった。
嫌い。
耳の奥で響き続けるあの三文字。それが俺を裏返しにし、ある種の絶望を呼び起こした。知りたくなかった感情。目覚めた瞬間に殺された哀しみ。俺は諦めなければならないのだ。僅かな希望に縋り詰め寄って感情を吐露する、そんな騒動を艦内で起こしたくはない。
嫌い。
ヒメネスの正直な感情。俺を睨んで、ふっと視線を逸らした瞬間に放たれた言葉は俺の精神を抉った。激しく揺さぶられた感情は制御不能になる前に機能停止し、未だ復旧の見込みはない。今飲んでいるジュースの味も分からないのだ。俺の脳は外部情報を受信することを頑なに拒み続けている。
自分の真実を否定されるのがこんなに辛いことだとは思わなかった。
機械的にジュースを飲み下し、俺はどうして泣かないのかふと疑問に思った。失恋といえば号泣と相場が決まっているが、どうして俺はそうならないのか。
「空っぽ、なのかもな」
友情が愛情に変化した瞬間、全てが奈落に消えて。
愛情の欠片すら手の中に残らなかっただから、何かを想って泣くことすら出来ないのだ。何と不器用なことだろう。
……残念だが、自室には戻れそうになかった。