夫に先立たれて、私には家とほんの少しの遺産と思い出だけが残されたわ。 夫が好きだった庭を掃除して、レコードを聴いて、たまに息子から掛かってくる電話を取って。 そんな私の楽しみは、散歩道の途中にある小さな甘味処で餡蜜を食べる事。 お店の方は代替わりしたけれど、口にする餡蜜は昔と変わらない味で、食べるたびに夫のことを思い出すわ。 そういえば最近、私のお気に入りのそこに新しい子が入ったみたい。 色素が薄い、きっと欧米の子ね。黒に近い灰色の髪で、目が青い子。身長は高かったけれど顔つきは少し幼くて、ここには留学しに来ているのかしら。 よく笑う子よ。それにたくさん喋るわ。 全部英語だから私は分からないけれど、表情や仕草で何を言ってるのか伝わってくるの。 彼はよく店の主人と話しているわ。代替わりした息子の方ね。息子の方はとても日本人らしい日本人よ。藍染の着物が良く似合う人。店の主人は英語ができるみたいで、その子とよく会話しているわ。 「カトー」 彼は店の主人をそう呼んでいるの。カトー、は主人の苗字ね。 「アンソニー」 店の主人は彼をそう呼んでいるわ。あの子はそんな名前だったのね。苗字の方かもしれないけれど。 毎日の日課の散歩が終わったら、いつもあの甘味処に寄るの。頼むのは餡蜜よ。外が寒ければ煎茶、暑ければ抹茶を出してくれるの。主人のカトーさんが作ってくれているのよ。よく気が付く人なのね。 それが、いつだったかしら。ちょっと冷え込んだときに、カトーさんが私に尋ねたの。「紅茶は飲まれますか」って。甘味処で紅茶?って思ったけれど、好奇心が先に立って飲みますよ、って返したの。そしたら白磁のティーカップに琥珀色の紅茶がきたわ。どこかのお嬢様にでもなった気分。一緒にスコーンまで付いてきて、お代は要らないなんて言うのよ。 「これは売り物ではないのです。あちらのアンソニーが、毎日来てくれるレディにお礼がしたい、と言い出しまして」 それを聞いて私は驚いてしまったわ。 だって、こんな皺くちゃなお婆ちゃんに向かって『レディ』だなんて! 信じられなくて暖簾の向こう側を覗き込んで見れば、あの異国の瞳がこっちを見て笑っていたわ。あんな顔をされたら、食べないなんて言えないわね。だって渡されたものは受け取るのがレディの礼儀でしょう? 紅茶なんて飲んだことないけれど、いい香りのする飲み物だったわ。きっと葉っぱから淹れているのでしょうね。スコーンが甘めにできていたから、砂糖が入ってなくて丁度良かったわ。 もちろん餡蜜も頼んだわよ。嬉しい驚きがあったけれど、目的はそれだったんだもの! あそこのアンソニー君はよく働く子だわ。 カトーさんほどじゃないけれど、よく気が付く子で、でも抜けているところもあって。何度か日本語を間違えていたけれど、笑って許せちゃうの。 ああいう子は憎めないわ。だから思うの。 お店で皺くちゃのレディが応援しているから、良い子を捕まえて幸せになって、ってね! ……でも、あと五十歳若かったら、彼に恋してたかもしれないわね。 残念ね。 ■ ■ ■ アン→カトだと思われる甘味処パラレル。続く…のか?未定です。 アンソニーは女性には平等に優しいフェミニストだよね。英国紳士の卵です。 語り手(客)は夫に先立たれて息子も巣立っていった老婦人でした。あんみつ美味しい。 ■ ■ ■ 10/04/22 |