「その恋の開示を要求します」



 後悔してからじゃ遅いのよ。こんな状況では尚更に、ね。
 何もかも見透かしているといった口調で、ウィリアムズはそう言った。
 女の勘、というやつだろうか。俺は何も話していないのに。
 俺は役目をきちんと行えている。やることに不備はなく、アーサーに何か指摘されたこともない。心拍や呼吸、体調に変わりはなかった。それなのに見透かされてしまうなんて、女性は偉大だ。
 しかしその助言に従うことはできない。この想いは墓場まで持っていくつもりだ。
 俺が後悔するとしたらそれは言わなかったことより、あいつを帰還させることが出来なかったときだろう。
 この死地ではあり得ないと言い切れないそれに、何度身震いしたことか。


「ただいま、カトー」
 頭部デバイスを脱いだばかりなのだろう、髪が少し乱れたアンソニーが俺に声をかける。今にも飛びついてきそうな両手に俺は思わず肩を揺らした。それに気付いたのかアンソニーの動きが止まる。親しげだった笑顔が途端に曇ってしまって、俺は少々の罪悪感を覚えた。
「……疲れただろう、食事をして眠ったらどうだ」
「カトーは食べたのか」
「いや、これからだが」
「じゃあ一緒に食べよう」
 テンポの速い会話に、ついつい飲まれてしまった。あまりこいつと接触していたくないのだが、断ろうにも相手は既に自室に走っていってしまった。装備を置いてから食堂に行くつもりなのだろう。俺はイエスを返していないのだが。
 胸のどろどろは未だに俺を苦しませる。気管が詰まって窒息するのも時間の問題だろう。仕事に支障をきたす前に決着をつけたい気持ちはある。しかし、告白するのはとても難しい選択肢だった。
 気持ちを口にするということは、心の一番柔いところを晒すということだ。そこにナイフを突き立てられたら、真っ赤な鮮血が噴き出すだろう。細い針で刺されたとしても、そのうち膿んで腐り落ちるだろう。誰かに告白するということは、俺に死にに行けと言っているのと同義だ。まして、あいつにそんなことをされるなんて――考えたくもない。
 何度その場から立ち去ろうと思っただろう。しかし足は動かなかった。だって、あいつが来るのだ。今頃装備を置いて、髪を整えているのだろう。あれでも女性の目を気にしているのだ。微笑ましいことだと思う。
 遠くから眺めるように、俺はアンソニーと接している。テレビの向こう側に居るような、近くて遠い存在。触れても体温のない、そんなものとして。
 そうしないと俺が保たない。
 けれど、幾ら俺がハグを拒否しても、アンソニーは俺と接するのをやめようとしない。むしろ増えたように思う。
 ……自意識過剰、だろうか。
「お待たせ、行こう」
 そう言って俺の腕を握った手は俺と同じくらいか、それよりも少し大きい。握力が強くて赤く跡が残ってしまいそうだ。
 後ろからアンソニーを追いながら、いつこの手を離してもらおうかと、そればかり考える。食堂に着いたら外してくれるだろうが、本当に外されるのか不安になるほどに握る力は強かった。幅広の紐で縛られているような感覚。力加減が出来なくなるほど腹が減っているのか。
 歩きながら、ふと不思議なことに気付く。アンソニーの髪は未だに乱れていた。いつもならきっちり整えて出てくるのに。なら、さっきの待ち時間は何だったのだろう。装備を置くだけにしては長かった。
「なあ」
 アンソニー、とは絶対に呼ばない。それだけで恋慕の情が膨らんでしまうから。
 その感情が芽生えてからというもの、俺はその芽を枯らそうと必死になっていた。水も栄養も与えなければ萎むだけだったろう感情。しかしアンソニーはそれを許してくれない。
 どうして俺から離れてくれないのか。
「カトーは」
 足が止まる。引っ張られることはなくなったが、相変わらずがっちり手首は完璧に握りこまれていた。振り返るアンソニーの顔を直視できず、俺は自然な風を装って視線を手首あたりに下げた。
 一瞬だけ、腕を握る力が強まる。痛みを感じて抵抗しようとしたが、機動班の男に内勤如きが敵うはずがない。
「オレが嫌いなのか」
「……何で」
「ずっとオレを見ないじゃないか。オレじゃないどこかを見て喋ってる」
「それは」
「嫌いなら、どうしてそう言わないんだ。他の奴らみたいにはっきり言ってくれれば分かるのに」
 誤解だ、そう口にしたかった。しかしそんなことを言えば、では何故、と追撃が来るのが分かったから弁明できない。俺の理由はひとつしかないのだから。
「ハグもキスもさせてくれたのに突然嫌がられたとき、結構傷ついたんだぜ」
 ああ、そうか。声に出さず、俺は納得した。
 どうやら、アンソニーは俺を非難して、勝手に俺を嫌ってくれるらしい。
「さっきも、オレを怖がっただろう。なあ、オレ何かしたのか。カトーが嫌がるようなことしたのか」
 その問いに俺は答えなかった。自動で嫌われるのならそれに越したことはない。それで口汚く罵られて手を離してくれれば、それでいい。
 俺は身勝手で汚い人間だ、だから、早く嫌いになってくれ。
「カトー」
 声が、低く湿った音に変わる。
 その変化に俯いていた顔を上げる。彼の手首ばかりを眺めていた目が捉えたのは、涙を溢れそうなほど溜めて怒るアンソニーの姿。その顔に俺は酷く驚いた。常の彼とは違う。本気で怒っているのだろう。
「……手、離してくれ」
 すぐに目を逸らしてそれだけ口にしたが、要求とは逆に強く強く握られた。骨が軋むような握力。明らかな痛みに喉の底から低い呻きが漏れた。
「どうして」
 こんなところ誰かに見られたらどうする。人通りの少ない廊下だがゼロではないのだ。もしアーサーに報告されて問題になれば、俺はどう答えればいい。こいつにどう謝罪すれば。
 窒息する。
 苦しくて苦しくて、俺の方が泣きたくなった。
 アンソニーはどうして俺から離れないのだろう。ずっとそればかりを考えていたが、その答えがようやく分かった。
 ただ、知りたかったのだ。己が嫌われているのかどうか、どうしてそうなったのかを。

「俺はお前が嫌いだよ」

 嘘を口にするのは簡単だった。胸の想いが暴れ出そうとするのを抑え込むのも案外難しくない。
 真実は駄目だ、今ここで必要なのは嘘。望まれた回答を返さなければならなかった。
「うそつき」
「嫌いだ」
「ならどうして、こっちを見ないんだよ」
「離してくれ」
「カトー!」
 突然の恫喝にびくりと震えた。叱られた子供のような態度だ。これではどちらが年上か分かったものではない。一度きつく目を閉じて、頭の中でさっきの言葉を復唱した。
 俺は嘘つきだ。俺は嘘つきだ。嘘つきだから、だから、何でも言える――
「好き」
 自分でも聞き取れないような声で、一度だけ呟いて。
「嫌いだ」
 すぐ嘘つきに戻る。
「……同じことを、何度も言わせないでくれ」
「カトー、どうして顔を上げないんだ」
「見る必要なんてない」
「見ろよ、じゃないと手を離さない」
 少々荒くなった口調。こいつもこんな風になるときがあるのだ。最後に意外な一面が見られて、不謹慎だが嬉しかった。きっとほとんどの人が知らないだろう、怒ったアンソニーの声、表情、力任せの手。これで終わりなのだと思うと痛みすらも惜しくなってくる。
 嘘つきの俺が、ゆるゆると顔を上げる。それで終わり。手を離して背中を向けて道が分かれて、俺が悪人になって全て解決する。円満だ。万々歳だ。自業自得だ。自分がこれほど汚い人間だなんて思わなかった。
 けれど、現実はそう上手くは運ばない。
 視線を合わせて後悔した。無理にでも振り払えば良かったと心底思った。
 目の前に頬を伝う涙が映り、次いでぶるぶると震える唇が視界に入る。アンソニーは怒っているのではなく、ただ悲しんでいるだけだった。恫喝はきっと子供の駄々のようなもので、ただ俺の言葉を認めたくなかっただけなのだ。
 俺はそのとき、どんな表情をしていたのだろう。アンソニーが嗚咽を漏らしながら本物の子供のように泣き出したとき。嘘つきのメッキが涙が零れるごとに剥げ落ちて、心の柔いところが少しずつ顕わになって、そのうち嘘の鎧が脱げて裸にさせられて。
 アンソニーの涙が顎から床に落ちたとき、メッキは完全に剥げてしまって。
 もう泣かせたくないと、本心から思ってしまった。

「俺の真実を聞きたいのか」
 涙で潤んだ目を見て話す。アンソニーはしゃくり上げながら、強く頷いた。
「お前の望まない形の真実で、きっと聞いたら後悔するが」
「き、く」
 嗚咽交じりの声でアンソニーは返してきた。そう返ってきたら、俺はもう死ぬしかなかった。心の柔いところを晒して、とどめを刺されるしかなかった。でももう引き返せない。刃はすぐそこまで迫ってきている。
 深呼吸をして覚悟を決める。俺の一言で全てが顕わになり、アンソニーの返答に俺は殺されるのだ。涙を流すことも命乞いすることもできずに。
「好きだよ」
 そして俺は俺自身の心を暴いた。汚い嘘で覆い隠そうとした真実を白日の下に晒した。奇形の感情。嫌悪される嗜好。それを健常なアンソニーに見せ付けて、ひたすら断罪の時を待つ。
 すまない、アンソニー。そう謝るのは心の中でだけだ。
 俺は同情されたいのではない。知って欲しかったのでもない。ただ、泣き止んで欲しかったのだ。化粧の剥げたピエロが踊る姿を見せて、その顔を泣く以外の感情にすり替えたかっただけ。
 それに考え方を変えれば、俺を殺すのはこの想い人なのだ。そいつにナイフを突き立てられるのは、今まで体験したことがないような甘美な感触かもしれない……そんな下らないことを考えなければ、俺には救いがなかった。
 さあ、早く、その刃の行く先を決めろ。
「す、き?」
 吃驚したのだろう、涙はまだ止まらないが表情だけは変わった。
「お前が女性を好きになるように、俺はお前が好きなんだ」
 カウントダウン始まる。
 切っ先が向けられ、鈍色の刀身が真っ直ぐ俺に――

「なん、だ」
 刃が、止まる。
「なんだよ、それなら、そう、言ってくれよ」
 向けられた切っ先は、俺を、突き刺さなかった。
「きらいじゃないなら、それで、いいんだよ、オレは」
 予期していた痛みがない。ただ心が晒されたままで、冷風が沁みて寒かった。
「オレは、カトーにきらわれたく、ないんだ」
「宙ぶらりんな回答だな……でも、それが普通なんだろうな」
 俺はお前を想うように女性を好きになれないから知らないけれど。
 心がこのまま野晒しにされている方が、刃で裂かれるよりずっと辛いかもしれない。
「手、離してくれる約束だろう」
 柔いところを晒して息苦しさは消えた。どろどろとしたものは開いたところから全て搾り出され消失していった。しかしその代わり、新たな苦しみが俺を覆い始める。晒したところにいつ鈍色が突き刺さるのかという恐怖。思考と裏腹に、ほんの少し期待してしまう身勝手な想い。
 痛みはまだ来ない。いつ来るのかも分からない。その恐怖は計り知れず。
「じゃあな」
 離された腕を自分の元に引き戻し、感情を押し殺して背を向けた。走って走って、早くこの場から消えてしまいたい。しかし足は思うように動かず、いつものように歩くことしか出来なかった。
「カトー」
 背中の声に振り返れない。
「オレ、ちゃんと考えるから、だから」
 刃の恐怖は常に首筋を舐め、いつでも殺せるのだと脅しを掛けられているようだ。
「待ってて、くれよ」
 残酷、本当に残酷な言葉だ。どんなにネガティブになっても、そんなことを言われて期待が膨らまない訳がないのに。
 待っててくれ、なんて。
 まるで心の準備をしているような台詞で。
「期待はしていないよ」
 最後にアンソニーの為の抜け道を用意してやる。俺はもう限界だった。平静を装うのが苦しくて仕方がない。喉や胸を掻き毟って、やり場の無い恐怖を少しでも薄めてしまいたかった。
 生殺しにされた全裸の心が、寒さのあまり凍え死んでしまいそうだ。だから、この想いを殺すのならば早く決断してくれ。
 俺はもう、楽になりたいんだ。
「カトー」

 期待はしていない、なんて。
 ……ああ、俺は本当に、嘘つきだ。






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「この恋は隠匿されました」続き。予想外にネガティブなことになって書き手のほうが驚いています。
アンソニーが部屋から戻ってくるのが遅かったのはカトーを問い詰める心の準備をしていたからだったり。
あれ……幸せじゃない……カトーさんめちゃくちゃ後ろ向き……
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10/04/30